( empty / vacancy )

日々の日記。ひっそりと静かに。

腕のなかの涙と、非模範的介護モノローグ

最近、祖母に続いて母の介護までが始まりつつある。

 

母は72歳。

72という数字が大きいのか小さいのかよくわからないけど、人に関わる仕事を長くしてきて「元気でぴんぴんしている人」と「そうでない人」の差にものすごく開きがあるのが70代だと感じている。

同じ72歳で、ごく現役で活躍している人もいれば寿命に近い人もいたり、うちの母のように介護保険サービスの対象となる人も大勢いる。

その開き方というか、個体差というか、それがとても大きいのが70代だな、という印象を受ける。

 

うちの母は5年前、くも膜下出血により開頭手術を経て、お陰様で回復した。

当日の、その瞬間の夜のこと、翌日朝からのオペのこと、夕方になってオペが終わったことあたりまでをいま見てきた映画のように頭のなかで再現できる。

おばあちゃん子だった姪と甥が、母が手術だと聞いて(そしてわりと深刻な状況だと感づいて)、ふたりしておろおろと私の前で泣き出したこと、

そのふたりを抱きしめながら「ドクターXがいたらいいのにね」とくだらないことを呟いて、私のその言葉にふたりが腕の中でそれぞれに「うん」とうなづいたことも、そのときの彼らの震えと涙の温度も、いまこの瞬間のことのように思い浮かぶ。

 

あれから5年半。

くも膜下出血後は目立った後遺症もなく回復した母が、それなりに難儀な介護問題を抱え始めた。

長女である私はこれまでも、母の人生にかなりの程度つきあってきたつもりだが、これからもまだしばらくはそうらしい。

 

介護という役割に、娘としてもちろん全力を尽くす。

しかし。

尽くすけれども私は私だ。

母や祖母のために私があるのではなく、私が生きることのなかに母や祖母がいて、その介護がある。

ふたりの、身近な年上の女性に対して敬意と感謝をもって接することは当たり前だが、けれど同時に私そのものが介護になるつもりはない。

 

役割は、自然に与えられるものもあれば否応なしに降ってくるものもある。

そのどちらの場合も、染まり切ることも難しければ、意図的に染まらないでい続けることもまた、それ以上に難しいと思う。

社会的なものであれ個人的なものであれ、役割はすなわちアイデンティティの一部で、それそのものになってしまうことはある種の効力感を人に与える。

 

けれど、と思うのだ。

それがどんなに好ましいことであれ役割に酔ってしまっては終わりだ。

依存と同じだからだ。

「社会的に好ましい」ことであればなおさら、そんなラベルからは遠ざかりたい。

誰かを支えたり見守ったり育てたりすることは依存からではなく、ごく平たい言葉で言えば愛から、気持ちから、始まるほうがいい。と、私は思っている。

たぶん純度の問題だ。

近づきすぎると見えなくなる。

 

5年半前、腕の中で泣いていた姪と甥のこと。

今朝まで当たり前のようにそこにいた母が「もしかしてこれで死ぬのかもしれない」と思った瞬間のこと。

母自身は1ミリも覚えていないその時間のことを、最近またよく思い出す。

そして共に生きる、私を育ててくれた人の人生の後半に、私に何ができるかを考える。

 

同時に私自身の人生のことをより強く、より深く考える。

私は私の人生を生きていたいと。

そのなかにこそ母はいて、介護と名のつく何かがあり、けれども決してその逆ではないと、

役割という何かかからできるだけ軽やかに身を交わしながら、あのときの子どもたちの涙と彼らを抱きしめた腕と、母のドクターXとして今日を与えてくれた運命とに私なりの恩返しをする。

純度は澄んでいるだろうか?

透明であることは快適なことばかりではなく、ありとあらゆる葛藤や小さな喧嘩や互いの不機嫌やときに心地よい距離感とか、そんないろんなものを運んでくるだろう。

そのままでいい。

 

そんなふうに私の、「運命」という名のドクターXへの、恩返しとしての介護が始まりつつある。

 

・・・ふぅぅ