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日々の日記。ひっそりと静かに。

2019(ニーゼロイチキュー)

なんだか知らないが泣きたくなる時がある。
いまがそうだ。
そのとき、いつも思うイメージは
「立ち止まることも許されない」
「ほんとうは手放しで泣きたい」
みたいな感じ。

1月に、いま思えばヘルニアの始まりがあった。一般的に人が「痛いから病院いこ」くらいの痛みなら私は私自身を完全に無視してしまう。
思えばこの頃すでに電柱と電柱のあいだを這うようにして通勤していた。

3月ころは、祖母が体調を最も崩した時期だ。祖母はなんとか乗り切ってくれた。

4月に部署変わりし、国の省庁関係の事業のひとつをまるまる任されることになった。そもそも仕事に対して意欲の低い人間(わたし!)に、なぜこのように川の流れは流れるのか。プレッシャーと新規事業の細々とした作業、各会議への顔出しなどが波のように押し寄せる。むむむ。

7月あたり。5月6月必死で働いてなんとか事業も軌道に乗り始め、まずまずのスタートを切れたのではないかと思う束の間。
しかし敵は内部にありて候。

8月。がっつり肺炎にかかる。お盆の真っ只中に自分で車を運転して早朝の救急外来へ駆け込んだ。「肺炎ですね」という若いドクターのクールな声が聞こえて、その瞬間、退職を決めた。仕事はここまでなんとかかんとか軌道に乗せたことでよしとしていただくしかない。皆々様、申し訳ない。しかし仕事で命は落とせない。

9月ごろは、不動産の関係でひっちゃかめっちゃかとなっていた。祖母が他界すればすぐにでも第一優先課題となる相続について、母から代々の過去の歴史も含めさまざまなレクチャーを受ける。不動産屋さんとも司法書士、弁護士とも渡りあうのは私、っつーわけですな(え?なぜに??)

10月は不動産の関係で弁護士やら司法書士やらとやたら関わりがあった。
誤解と偏見に満ち満ちた言葉を遠慮なく書くならば、弁護士という人々は何かがおかしい。親類縁者にもそれっぽい人がいるのでなんともいえない気持ちになるが、ここまで変わった人種だとは知らなんだ。
それに比して司法書士さんは実務をこなすからか、比較的人間に近い。ものすごい偏見なので読み飛ばしてください。しかし実感であったことも、た・し・か!
あと、新しい仕事の依頼があった。ただただ私の「頭だけ使ってくれたらいい」という元同僚からのオファー。ありがとう。


11月。祖母が他界した。98歳。
おばあちゃん。尊敬してました。
またね。


12月。
祖母のふた七日、三十五日もままならないなか巨大ヘルニアにて緊急手術&入院。
同時に、下肢の動かなくなった我が犬はいつもお世話になっている動物病院でしばらく預かっていただくこととなった。
正直、何が心配といって自分の手術や回復よりもよほど、犬のことが気がかりだった。
胸が痛む。

ようやく退院し、しかし腰を曲げられない私のために立ったまま犬の介護ができるケージを、私の父親代わりのような方が三日で作ってくれた。お礼の言葉もない。
犬を迎えに行き、「重いものを持つな」と主治医から再々注意されていることも忘れて10キロの犬を抱き抱えた。
いつもの犬の匂いがした。

新しくできた木の香りのするケージにそっと乗せると、すこしのおやつとお水を飲んで、そこからすやすやと眠り始めた。獣医さんはとてもいい方だしいい場所にいさせてもらったけれど、それでも慣れない環境のなか、彼なりに緊張の糸をはりめぐらせながら過ごしていたのだろう。
今日は犬が帰ってきて二日目。
まだまだゆっくり眠っていいよ。
一日二度の短いお散歩にはいこうね。
毛布をしっかりかけて寝てよ。
なによりも、おかえり、おかえり。

というわけで12月は私の入院と犬の入院とがあった。そして祖母の四十九日も。
そして引っ越しや荷物移動の真っ最中。


「2019」という数字はきっとこれからも
「立ち止まることが許されなかった」
時間として私の記憶に刻まれるように思う。
今年、これまでの人生になかった(極力避けていた)「戦う」ことと「終わらせる」こと、そして「明確な意思表示」とにどっぷりと向き合わされた。

戦うことを避けていたのは純粋に戦うことが嫌いだからだ。
けれどある種の戦いでしか終わらせられないものがあると知った。そしてほんとうに「終わらせよう」と決めたならば戦うことを途中でやめてはいけない。終わりにはならない。誰も救えない。

45歳という年が人生のどのような位置に属するのかは知らない(心理が専門なのに)
明日死ぬなら今日はラストだ。
平均寿命まで生きるならちょうど半分。

働き盛りともいうし、管理的な立場も経営すらも回ってくる。
祖母や母が担ってきた資産の管理や弁護士、司法書士、税理士などとのお付き合いも「代替わり」するらしい(私に。長女って…)

周囲が目まぐるしく変わっていくなかで、私は、これまでのようではいられなくなった。たぶん。部分的にではあるけれど。
恋人と離れたことももうずいぶんと遠い遠い昔のように感じる。
恋人と離れてからっぽになったと思っていた空き地に入ってきたものは、責任とプレッシャーと、大きな疲労と孤独、なのかもしれない。いまのところ。


立ち止まることが許されない。
手放しで泣きたいときも。

それでもしばらくはしっかりと立ち、歩き、ときに走り切るしかない。

そのとき。
そのとき、自分がささやかながら襟を正してきた矜持を忘れないこと。
自身と自身の延長にある人々を不必要な理不尽さにさらさないことを自分に誓う。そのための戦いなら迷わず前線に立つんだろう、私は。
私自身が持てるわずかながらの品位を手放さないこと。
そのことをしっかりと心に留めて。

ニーゼロイチキュー。
あと十日で終わる。

ニーゼロニーゼロも、どうせ立ち止まらないならそのように歩く。
襟を正し、自分の心をしっかりと掴んで。

 ただときどき泣きたい。
 ひとりきりでいいから。