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日々の日記。ひっそりと静かに。

きょうのいちにち 長い喪の作業

朝 7時前に起きて犬の散歩に行く。
犬は今年の夏で15歳のおじいちゃんで、昨年から後ろ足が悪い。前にも後ろにもハーネスをつけて散歩する。
足が悪いのに散歩が好きで、小一時間歩く。

私自身が巨大な腰ヘルニアで手術を受けてからようやく2ヶ月が経つ。
完治は1年といわれているから、たぶんまだまだ重いものを持たないほうがいいんだろう。
あと前傾姿勢とか、ダメ、ゼッタイ。

だけど犬も調子が悪いので毎日朝夕、ばっちり前傾姿勢になって10キロの犬を抱え下ろし抱え上げる。
散歩中も、前足と後ろ足の両方のハーネスを持ったうえでさまざまな荷物をバッグに斜めがけして小一時間歩くため、腰を妙な角度に曲げたままでいなければならず結構つらい。
が、それを毎日、たのしみにやっている。
うちの犬は超可愛い。


朝、犬散歩がすんだら、母の食事の支度と朝食。

つい先日、母が浴室で倒れていたところを私が発見し、救急車で搬送してもらった。
4年前のクモ膜下出血が頭をよぎり
「あ。お母さん、死んだかな」
と思った。クモ膜下出血のときと今回、二度目だ。
結局、原因不明ではあるが過度の衰弱で、毎日点滴に通った。
入院すると認知機能がおちそうなので家で看病やら介護やらをした。
約二週間でやっともとの母に戻ってきた気がした。が、まだ油断禁物っぽい。


そんな状態の母はおかゆばかり食べる。
そして元気が戻り始めてからは、ものすごく食べる。
へんな好き嫌いが前より増えた気がする。
調子の良い日は「吉野家につれていけ」という。
吉野家って、いままでほとんど行ったことなかったじゃん。
おかゆしか食べられない →  吉野家しらすおろし定食をもりもり食べる」のステップが娘の私にも理解不能だが、食べられるだけでなんでもいい。


しらすおろし定食を食べた母を乗せてちょこっとした買い物にまわる。
もちろん、母の気晴らしも兼ねている。
食パンとかごま昆布とか。
我が家にあるお菓子Box用のチョコレート、かっぱえびせんチーズおかき
あとは介護用下着を母のものと犬のもの。


あ、犬のおもらし対策ですが、獣医さんに
「オムツベルトのなかには人間用の介護パッドをするといいですよ。犬猫用より何倍もよく吸うので」
と教えてもらってからマナーベルトのなかには人間の介護用パッドをつけている。
ほんとに便利。
これを使い出してから、むやみに犬の体や布団や服が濡れることが減って、快適にいさせてやれているんじゃないかと思う。
たぶん。

荷物と母を抱えて帰宅したら13時ころだ。
母のお風呂の時間。
浴槽の中に、介護用品屋さんからテストとしてお借りしている滑り止めマットと、小さなステッパー(椅子も兼ねる)をおいてお湯をはる。
よいしょよいしょと母の服を脱がせて浴槽にちゃぽんとつかってもらう。

我が家は浴槽の中で母の体を洗う。そのほうが寒くないから。
背中を洗い、自分で洗える部分は自分で洗ってもらって、頻繁にシャワーをかける(寒いといけないから)
顔は母が自分で洗う。
髪は私が洗う。
最後にお湯を抜きつつシャワーで全身を流して、浴室内で体を拭いてオッケー。
脱衣所はハロゲンヒーターで温めておいて、また、よいしょよいしょと今度は母にパジャマを着せる。
ドライヤーで髪を乾かしたらおしまい。
「あー気持ちよかった」
という言葉をねぎらいと受け止めたい。
お風呂で疲れた母はしばし休憩。
時間は14時。

ここから16時半の、犬の夕散歩までのあいだにどれだけ家事ができるか、だ。
洗濯機を回し乾燥機にイン。
掃除機は母が寝ていない部屋のみ、ざっと。
お風呂は、さっき母がつかったし、みんながひとしお、気持ちよく使いたい場所だろうから念入りに。とはいえ天井までは毎回届かなくて無念…
夕ご飯の支度をどこまで何ができそうか、手をつけ始める。
きょうは急遽、姪が帰ってくるというので何か用意しようかと思ったけど、結局、お餅を焼いて食べられる準備だけしておいた。
姪が特にお餅が好きなわけではない。
なぜか私が、私だけが、お餅に激ハマりしている。
フライパンにうすーーーく油を敷いて弱火でゆっくりゆっくり焼く。
お雑煮のお餅は苦手だけど、自分で焼く焼き餅はほんとに美味しい。

やきもちっておいしいんだってよ、世の男性陣。


合間に仕事のメールが届いて、2件片付ける。
親戚関係と連絡を取らなければならない案件も、この間に済ませる。
ついでに母のケアマネさんにも連絡。


そうこうしてたら16時が過ぎたから犬をみにいったら爆睡してた。
起こすのが気の毒なので先にご飯の用意(犬の)とか洗濯(犬の)とかをしてたらもそもそと目を覚ました。
「散歩いく?」
と声をかけると仏のように笑う。可愛い。
ハーネスをつけて、また小一時間散歩する。
帰っきたらご飯なんだけど、最近、めっきり食べる量が減った。
体も痩せてきた。
認知機能はしっかりしていてありがたい。
ご飯、違うのに変えてみたりいろいろ混ぜたり試行錯誤。
も少し食べられたらいいね。
ご飯を食べてお白湯を飲んで、体を拭いてオムツをしたらすぐに寝始める。
これは朝もそうで、散歩の後はすぐ寝てしまう。
いいよいいよ。ゆっくりおやすみ。
よく歩いたね

犬の夕ご飯のあとは母の夕ご飯。
白かゆがメインで納得している。
今日はおでんと、私の特製超簡単湯豆腐(お豆腐に永谷園のお吸い物のもとをかけ、お湯を注いで、お豆腐を崩しながら食べるというスーパーフードです)、
納豆、ごま昆布、お味噌汁。
こんなにちゃんと食べられるようになってよかった。
ほんとによかった。

他愛のないことを話しながら母がご飯を食べるのを横からのぞいている感じ。
私もちょこちょこ食べるけど、夕ご飯の時間あたりは疲れてしまっていてあまり「何かを食べたい」感がない。
母の薬を用意して飲むのを確認。
食器は食洗機にざざっと詰め込み、あとは食洗機頼み。助かる。


母を部屋に連れて行って、すこし雑談。
このすこしの雑談がなんか大事みたいだ。
すぐ隣の部屋にいるから
「何かあったらすぐ起こして」
と声をかけて、母は消灯。
20時くらい。でもそのあともひとりでテレビみたりしてるみたい。



で、私もやっと一人の時間がくるけど、
やらなきといけないこたがたまっている。
大雑把に引越してきたのでまだ荷物が整理できてない… 荷物の箱が散乱している…
確定申告しなくては…
確定申告どころか家計簿も間に合ってないぞ、今月…
仕事は当面、私はいないものと考えて進めていただきたい…(すまん)


こんな感じがエンドレスで続いているのが、年明けからの日々だ。
たれか、たれか助けて…といいたいが誰も助けてくれないだろうから、
たまに自分に小さく何かを許したりする。
今日は買い物のついでに飲みたかったウェルチを買ってやった。私だけが飲むのだ。
あとは、芸人さんたちのラジオをタイムフリー・アリアフリーで聴く。
有吉さんのラジオはもう何年聞いてるか忘れたけど、いまもサイコー。

本を読む時間がないのが難点だ。
お友達から教えていただいて読みたい本が2冊もあるのに、
耳で音を聞くことはできても
目を開けて文字を追う体力が1日の終わりにほぼ残っていない。
も少し手際良くならないもんか。


つーか、介護というか、介護、というか、
介護?というのか??この日々を。
なんかよくわからないけど親を、まるで子を育てるように手をかけ、見守るということのある種の寂しさと、
自分自身のライフステージの変化とを強く強く実感する。
それは「介護負担」とか「介護のストレス」とかと単一に括られるような感覚ではなくて、
ある種の喪失とそれにぴったりくっついたごく現実的な役割の重さやバランスや、未来への不安や体力勝負や、
そんなものの集合体で、
さらにいえば
(この言葉を使うのは緊張するけれど)
長い長い、喪の儀式で。

私にとっての母への喪の儀式は、母が他界した時から始まるのではなく、こうして親としての姿を一枚一枚剥ぎ、ただの人としての親を、人としての自分が手をかけ見守る日々そのものなのではないかとこの頃思っている。
そんな話を大事な方と最近、静かに話し合ったばかりだった。

いま、この時間は介護という名前の、ほんとうは、長い長い喪の儀式なのかもしれない。


そう思うことは胸にずしりと迫るけれど。
たぶん、きっと真実だ。
だからこそ向き合う。きょうも、あしたも。
そして自分でい続ける。