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日々の日記。ひっそりと静かに。

クリスマス・ノート ※暗いので注意

クリスマスから新年明けまでの日々は毎年、真っ暗で灯ひとつないだだっ広い土地に冷たい風が舞い、凍える空気のなかにひとり立っていた。
何も見えない。誰もいない。
そんな時間が一週間とも十日ともなく続く。
語りかける人など誰もいない。
聞こえる声などひとつもない。


毎年、いつ始まるともいつ終わるともしれないこの時間に怯えた。
知らせておいて、と伝えてもそれが叶えられることはなかった。
不意に突然、全ての明かりが消え温度が消え声が消えた。
今年もまた知らされぬまま暗闇が始まったのだと毎年、始まってから知った。
そして毎年、いつ終わるのかもわからないまま。


遠くにある鈴の音だけでも聞こえたら。
そう願い、言葉にしたこともあった。
けれど20年過ごした暗闇のなかに、その時間に、小さな音が聞こえてきたことは一度か、多くて二度だった。
音は届いたと思ったらあっけなく消えて、私は願いを言葉にしたことを悔いた。


一週間とも十日ともわからぬ終わりのときがくれば暗闇はもとの温かく美しい草原に戻った。
はじめは一瞬にして。

けれど年を経るにつれて、同じ闇を重ねるにつれて、闇が明け草花と温度が戻るまで時間がかかるようになった。
ときにはいつまでも緑は芽吹かず、夜明けだけ迎えた土地が灰色にどこまでもいつまでも続くだけで、私はいつもの場所に座り込んだままだった。


こんな暗闇が年に何度か時間を覆った。
いつも通り、いつ始まるともいつ終わるともしれず。
20年を迎えようとするとき、深く身に染み付いた無力感と孤独を掴んでいられなくなった。
もうこれ以上。
これ以上。



クリスマスと聞いて浮かぶ映像。
世のなかが活気に満ち、家族という言葉が繰り返され、浮き足だったほのかな喜びや温もりが周囲から発散される頃になると、私は暗闇を思い出す。
灯りもなく光もなく乾いた、冷たい風だけが通る場所。
生きていくにはらくでない。
生涯知らないままでもいい。
暗闇のなかでひとり、待っていた自分のこと。
冷えた手で掴んだ無力感と孤独とは刃となって、その先を自分に向けた。
手放すことを知るまで。


いま手のなかにある、クリスマス・ノート。



誰も来ない。誰にも会わない。
二千年の間、ここに立っているけれども。
  町田康『常識の路上』