( empty / vacancy )

日々の日記。ひっそりと静かに。

四年目の再開 -書くという作業-

ブログを書くのは四年ぶりだ。

2018年の暮れ、二十年ほどつきあった恋人と別れた。

しばらくぼんやりとすごしていたら、ふと、もう一度ブログを書きたくなった。


「何かを手放すと、あいた空間に別の何かが入ってくる」


みたいな言葉にはなんの意味もないと思ってきた。けれど結果的に今回はただただ「そのとおり」だ。先人の言葉はたいてい正しい。


何かあてのない文章を書いてみたい気持ちは漠然と常にあった。

けれど恋人との別れがなければ、再びブログとして言葉を綴ろうとは思わなかったのではないかという気がする。

なんの変哲もない、ごく平凡でどこにでもある日常を、宇宙に浮かぶ塵ほどの小さなブログとして、現にいまこうして言葉を連ねている私の猫背気味の背中はおそらく(おそらく、だけど)、恋人を手放してできた空き地に向かっている。

空き地には古い木の板に『empty (vacany)』と書かれた立て看板がたっている。


書いてみるための場所がなぜブログなのか。日記ではだめなのか? 誰かに読んでほしいのか? ただ文章を書きたいだけなのか? なぜ今なのか?


なぜ、また日々を綴ってみようと思ったのか、それが手放した何かが生んだ( empty / vacancy  )にどのように繋がっているのか、表現するにふさわしい言葉をまだ思いつかない。

承認欲求なんてチープな言葉は使わないでほしい。SNS映えするような何かからはさらに遠い。タメになる話などいっさい思いつかないから日常を連ねた駄文の連続になるに違いない。

平凡な日々と平凡な文章と、それを綴ろうとする行為のうしろに何が流れているのだろう。

終わりと始まりがつながる理由とそれにふさわしい言葉を書きながら探したいと思う。


あ、けれどもここに、恋愛の話はおそらく滅多にでてこないはずです。

ウエットな感情が比較的苦手なので。