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日々の日記。ひっそりと静かに。

This is the CHURCH

世の中には山ほど多くの職業がありなすべきことがあるのに、どうしてこの人は、そして私は、このことを仕事としてるんだろう、と思う瞬間があって。

 

たとえば芸人さんとか、格闘家とか、芸術家とか。

 

私は格闘技を観たことがないしなんの知識のもないんだけど、

Tver(というアプリ)で、格闘技とは無関係なバラエティを見ていたらその合間にCMとしてテレ朝系の格闘技イベント告知が流れた。

プロレスとかK1とか、ボクシングとか。

ダイジェスト的にコラージュされたプロたちの動きや身体を観てて「なぜこの人たちはこんな苦しいことを仕事にしてるんだろう」とふと思ったのだ。

 

Amazon の prime Video でくりーむしちゅー有田さんが『有田と週刊プロレスと』という番組をやっている。なんのきっかけか忘れたけどこの番組をときどき観てる。

プロレスを観たこともないし知識もないんだけど、なんというか物語としてとてもおもしろいんだよね。日本のプロレスの歴史って。

有田さんの解説がものすごくわかりやすくておもしろいから、たとえばまとまった連休とかに『有田と週刊プロレスと』をひたすら観続けたりする。

有田さんの話に登場するプロレスラーの顔はいまだにひとつも知らないんだけど、プロレス界の日本史はなんとなくわかってきた。

全日と新日がどう違うのか、とか笑

「オカダカズチカ」と「レインメイカー」とか、「ロス・インゴ・ベルナプレス・デ・ハポン」とか(最後のに関しては単に音がイカしてるという理由で)を知識として知った。観たことはないけど。

ボクシングでいえば那須川天心とか、パッキャオとか。

と書きつつ、正直プロレスとその他の格闘技(K1もおそらくもう古い部類なんだよね)とボクシングとの区別すら怪しい程度に、私は何も知らない。

 

だけどその『有田と週刊プロレスと』の有田さんの話とか、メイウェザーとパッキャオ戦とか、パッキャオが祖国でいかにヒーローであるかとか、これまで歴代の有名格闘家の人生とかを聞いたり、たまに読んだりすると

人ってどうしてこうも不可解な、危うく狂おしい人生を歩むんだろうな、とつくづく思う。

格闘家が顕著にそうである、ということもあるけどそれだけではなくて、私自身も含めた市井の人々も「なぜ、そう生きなければならないのか」って思うようなことを生きてるよなぁ、見える見えないに関わらず、と思うのだ。

 

 

格闘家とか芸人さんとか芸術家に関していうと、お金を稼ぐことだけでいえばもっと堅実で安泰な方法なんていくらでもあるのに、

自分の身体を痛めたり、才能という目にみえないものに賭けたりそれを補う(普通以上の)努力をしたり、いつ評価されるともわからない言葉や絵の具や音を連ねたり。

それって今世の半分ほどを確実に費やすことで、つまりはほかの可能性を一時的にせよ手放すことであって。

それでも格闘家は格闘技を、芸人さんは人々が笑うことを、芸術家は自らのうちに眠る/人間の普遍性に触れる何かを形にしようし、そうすることで生きようとする。

 

そしていま私の目に届く人々はある意味での成功者の場合が多いだろうから、途中で方向転換した人や夢半ばの感を抱きつつ生き続ける人も含めれば、ほんとに人間って不思議な選択をする生き物だとつくづく思う。

 

時間は前にしか進まないから(たぶん)、そんな血の滲むような努力や心の軋みが実るのか実らないのかはやってみないとわからない。

やってみないとわからないことのために生きる大半を費やし、もしかしたらそのすべてが泡と帰すことだってある。

 

 

人は生まれながらになるべきものの種を有して生まれる、と考えるのは心理学(応用、臨床系)ではたとえばトランスパーソナルと呼ばれる世界とかが近い。

なんだかスピリチュアルに寄る感じがするが、その要素があながちゼロとも思わない。

けれどそれじゃああまりにもではないか、という気もして私は天賦の運命論者にはなりきれない。

 

選手生命の長さ短さや怪我や才能とかの、自身の手を離れたものらが折り重なり道筋を運んでいくような世界に身を置くことを自ら選んだ人たちの姿は、どうしてこうも胸に迫るんだろう。

彼らが自分とかけ離れた世界に生きるからではなくむしろ、その姿のなかにどこか自分の断片を見出すからではないか。

 

好きな心理学者のひとりにエリクソン(1902〜1996)という人がいて、この人はいまではすっかり一般用語となった「アイデンティティ」とか発達課題とかライフサイクルとかという言葉に、心理学としての操作的定義を与え、

同時に主にカウンセリングなどの現代のメジャーな心理療法もっとも大きな準拠枠を与えた。

エリクソンは自身の説のなかで人生の晩年(エリクソンの説、1960年代頃の65歳以降)に人間が向き合う課題は「知恵」と「人智を超えたもの」だとした。

このあたりは昨今流行りのエビデンス・ベイスドとはほど遠く、たぶんにエリクソン自身の経験からくる哲学がふんだんに織り込まれていると思う。

 

人智を超えたものの存在はエリクソンの時代よりもいまの方が身近なのではないかと思う。

一定程度は豊かで何者にもなり得る場所で小さな、ときにほんの少しだけ大きな選択を繰り返しつつ自分になっていく。

あらるゆものがコントロール可能なようで、けれど実はそのほとんどが自身の選択そのものの力など数%に過ぎないこと、

天変地異や職業選択に至るまで、知らぬまに何かを選び取らされていること。

そういうことは1960年代よりも2020年を目前にしたいまのほうが起こり得るんじゃないだろうか。

 

 

今日も世界のどっかでパッキャオは眠って起きてサンドバッグに向かってたり、綺麗な女の人とイチャイチャしてたりするんだろう。

格闘家はリングに、作家は机に、画家はイーゼルの前に向かい続けるんだろう。

眠って起きて、掴めるようで触覚を欠いた人智を超え、同時にごくリアルに目の前に広がる一日に。

 

何かや誰かの肩代わりをするように時代を担う格闘家や芸人さんや芸術家は文字通りその身を削りながら生きているようにみえる。

それを人智を超えたものと同等の、何かメルクマールのように感じるのは私だけなんだろうか。

そういえばマイケル・ジャクソンもまさにそんなような人だったよね

なぜそんなふうに生きるのか。なぜそんなふうにしか生きられないのか。なぜその生き方を選ぶのか。

人生の大半を棒に振り、時に命を縮めてでも。

 

マイケル・ジャクソンが亡くなったあとに出た映像『This Is It 』のなかで、来るべきツアーに向けてリハーサルにはげむ最晩年のマイケルが踊っている。

素人目にも、映像越しにもそれはそれは素晴らしいダンスで、無言で長く完璧なダンスを踊り終えたマイケルに舞台監督が

「Amazing …  This is the Church …」

とひとり言のように思わず言葉を漏らすシーンがあった。それを聴いたマイケルはうれしそうに、恥ずかしそうにうつむいてすこし笑っていた。

 

 

今後、格闘技を観にいくことがあるかどうかはわからないけど

来月、世界一に輝いた若い人のDJプレイをライブハウスで観る予定。

ものすごくたのしみだ。

そういえば彼らだって、なぜDJとして生きるのか。なぜラッパーとして生きるのか。

ただ好きだからという理由だけで生きるには日々は短く人生は長い。日々は長く人生は短い。

 

大切な一晩のDJを聴きにいく。

何を感じるだろう。

 

 

偏愛音楽 #1 洋楽、雑多バージョン

この頃、自分のスマホ内からよく流れ出る音楽をば。

 

本を読むことと音楽を聴くこととを両方できる人に憧れる。

私は本ばかりと会話してきたので、大人になるまで音楽の楽しさを知らなかった。

ただ音楽のもつ力だけはなんとなくうっすらと感じていたから、育ててきた姪と甥には「本と音楽は好きなだけどうぞ」の姿勢でいた。

案の定、「この本を読みたい」「あの本を買って」は片手で十分あまる程度に少なかったが、ウォークマンiPodは同年代の子たちよりうんと早くに手渡した。

もちろん水没したりBluetoothの不具合が起きたりで、何度買い換えたかわからない。

 彼らのウォークマンiPodで一体何冊の本が買えただろう・・・

 

 

しかしそのお陰で、エド・シーランもテイラー・スイフトも姪に教えてもらった。ジャスティン・ビーバーも。

 

私が音楽を聴くようになったのは、そうして姪(とくに音楽好きで、音楽がないと生きていけない)や甥を経由してだったり、ほかの何かを経由してだったりして、結局20代を過ぎてからだった。

本を読むことを続けていると、無音が前提になる(私の場合)

 

20代以降に姪や甥や、その他を経由して聴いた音楽たちが私の青春時代の音楽と大きく違っていたこともびっくりだった。

2000年以降(とくに2010年代)の音楽たちはクールでドライで、要するに私の好みだったのだ。

自身の青春時代にイマイチ音楽を好きになりきれなかったのは、自分のアンテナに引っかかるものにたどりつけなかったから、というのもあるのだろう。青春時代の私の音楽に対するアンテナは自覚するほど低かった。

 

そんなわけで20代半ばあたりから徐々に音楽を好きになり、いまでは日々の家事のBGM  ーとくにお料理をするときにはなくてはならないー として時の流れを彩ってくれている、ミドル・フォーティのプレイリストをメモがわりに書いてみる。

洋楽邦楽、年代もすべてバラバラです。

 

 

#  テイラー・スイフト  『 LOVER』(2019)

2014年、イギリスからの知り合いと都内を散策していて「いまの日本はテイラー一色ね」といわれた記憶が鮮やかだ。振り返れば当時は『テラスハウス』というテレビ番組でテイラーの曲がメインテーマとして流れていた。

あれから5年。今回もキャッチーなアルバムがでたなぁと感心する。

あれほど売れたアルバムのあとに出すものは慎重になりそうだが、前作の「売れた要因」みたいなもの(それがなんなんだか、語る知識も技術も私にはないざんす)を踏襲しつつ、メロディもリリックも少し大人になった感じ。

テイラーの曲は生活のなかに溶け込みやすい。なぜなんだろう。

なかでもとくに好きな一曲。

私はこういう、悲しげでもあるけれどメジャーコード、みたいなのが好きなようだ。

ギター、歌詞、声、とにかくいい。

 

Soon You’ll Better

https://youtu.be/tMoW5G5LU08

 

 

#  エド・シーラン

言わずと知れた、の存在になったが、私がいちばん初めに姪から「この人、いい」と名前を聞いたときにはまだTSUTAYAの店員さんすら存在を知らなかった。

いまではど・メジャー、UKのポピュラーミュージックを牽引するアイコンになったねー

 

姪が最初ににいいと言った曲で、私もいまだに彼の曲のなかでいちばん好きなもの。

Thinking Out Loud 

https://youtu.be/lp-EO5I60KA

 

そして言わずと知れた

Shape Of You    イントロから引きがあるよな

https://youtu.be/JGwWNGJdvx8

 

 

#  アデル

まぁ彼女のことは語り出すとキリがないほど愛しているので、ここでは割愛。

グラミーも獲り、これからも飛ぶ鳥を落とす勢いは続く(というか、そういう才能の塊)のだろうから私みたいな素人が何かいう必要もない。

ただ。

ただ、彼女のアルバムはどれも素晴らしいんだけど、すべてを何度も聴いて「これがベスト!」と思う一枚は、実はロイヤル・アルバート・ホールでのライブ・テイクだ。

これは Spotify にも入っていない、CDを買ってしか聴くことができない音源なんだけど、これがなんとも素晴らしい。

このライブ・テイクを聴くためだけに自分用、姪っ子に取られた用、なくしたため、と少なくとも3枚は私はこのCDを買った。あ、親友の誕生日プレゼントにも一枚。

そしてハードディスクからハードディスクに落とす、という古典的作業を、このアルバムだけのために繰り返している。

愛しのアデル。

 

When We Were Young 

https://youtu.be/HDpCv71r-0U 

(注:これはロイヤル・アルバート・ホール版ではないです)

 

Make You Feel My Love

この曲はボブ・ディランノーベル賞なんて!)が故エイミー・ワインハウスへの弔いの曲として書いたもので、アデルがカバーしたことで再び脚光を浴びた。

アデル・バージョンは初めて聴いたとき、運転していたクルマを路肩に止めて、思わず聴き入ったよね

PVでのアデルはまだ若く初々しくて、映像全体がどこかソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』を思わせる。

https://youtu.be/0put0_a--Ng

 

 

#  ボズ・スキャッグス

ここからは偏り甚だしいがご勘弁を。

いろいろな影響で自分よりひとつふたつ上の世代の人たちの音楽を愛でることも多かった。

ビートルズは当然その代表格なんだけど、そこまでの「ドンっ」というものでなく、ひっそりと好きな1970〜80年代の曲が数曲。ボズのこの曲もそのひとつ。

いろんなアレンジでいまも日本のレストランとかショッピングモールとかでも流れてることがあるから、そういうとき

「この曲の歌詞、ちゃんと知ってるもんね」 と心のなかで自分につぶやく。

この曲のメロディの美しさ、ボズの渋い声もさることながら、歌詞の持つ普遍的な奥行きと深さにいつも胸を打たれる。

こんな、オルゴールバージョンとかすらできてしまう名曲の、そのリリックをじっと読んでいると、こんなにもシンプルで誰からも心地よく聴かれる(ゆえにオルゴールにすらなる)メロディのなかにどこまでも変わらぬ人間の孤独と愛とが描かれていることにじんとする。

そんなことができるのが音楽なんだよね、きっと。

 

We’re All Alone

https://youtu.be/IbpsaYqkwHw

 

 

#  ケニー・ロギンス

ケニー・ロギンスといえば映画『トップガン』 その他、多くのヒット映画のテーマを生み出している。

そのなかでこの曲はもしかしたら目立たないほうなのかもしれないけれど、私は彼の歌のなかでいちばん好きだ。

ジョージ・クルーニーミシェル・ファイファーの映画『素晴らしき日』のテーマソングだということをずっと後になって知った。

この曲だけを聴いていると、なんだかハッピーエンドなディズニーの恋物語を思わせる。

美女と野獣』にでてくるようなプリンセスさえ、なんとなく描いていたのだけど、なんとなんとジョージ・クルーニーミシェル・ファイファーとは。

そりゃ中身を観なくても「大人の恋」そのものだ。

 

For The First Time 

https://youtu.be/v_I-z_AJ_4Q

 

でも私がこの曲を、大人の恋どころかイノセントなディズニー映画の主題歌では?とすら思っていたのには理由があって。

私がこの曲を初めて聴いたのはハワイのミュージシャン  ケアリィ・レイチェルのバージョンでした。

アルバムのなかでケアリィは、女性ボーカルとのデュエットの形でこの名曲を歌っていて、柔らかくソフトな声の連なりと明るさを帯びたハッピー感に「なんか、これディズニーの主題歌とかかな?」とずっと思いこんでいたのでした。

そんな思いのまま数年間愛聴し続けたあとに、ふとそのことを人に話したら即座にグーグルさまにアンサーを導かれ「え?!ケニー・ロギンストップガンの???」ということになりました。

曲自体が素敵なので私はどっちのバージョンも好きです。

美しい歌。

 

For The First Time  ケアリィ・レイチェルバージョン

https://youtu.be/twudifyq2f0

 

 

 

ということで、まとまりのないまんま今回はここまで。

 

好きな曲(歌、って言い方のほうが好きだけど)があることは生きることを確実に助けてくれる。

そんなことに気づいたのも20代を大きく過ぎてからだった。

 

 

クロニクル

「それが大人になるということ」と、とある人から言葉をかけられた。
大人というのは自分を労い、ときに叱咤し、励まし温めケアする。そういう行為(もしくは心の持ち方かもしれない)を自分に対して向けられることが大人だと。ためらわず、迷わず。
いや、ためらい迷ったとしてもひとつの確信を持って。

 

これまで私は常に誰かにとってのよいことを目指してそのために生きてきた、と思う。
すべてではないとはずだけど8割方はそうだった。大げさではなく。
たとえば娘として。伯母として。恋人として。
そのなかに、わりと早くから自分としては「大人として」という意識をもっていたつもりだったけど、どうもそれは大いに背伸びであったようで、
その足元には埋めきれないたくさんの「ただのわたし」の希望や願いや祈りや本音があやふやなまま見捨てられていた。脱ぎ捨てたパジャマみたいに。

30半ばを過ぎた頃からそのことの危うさと、そういう危ういことを自分に対してしてしまっているのだということに徐々に気がつきはじめた(つもり)
それは、日常に起こる祭りのあとのような虚無感だったり、圧倒的な後悔だったり、何かを忘れてきたような感覚だったり。

そういう心の軋みに手当てをしながら姪や甥を育て、犬と歩き、母と暮らし、恋人と過ごし、日々をあらためて手にとっているつもりだった。
特段大きな充足感を必要ともしなかったし、日常のなかにたくさん美しいものやキレイなものが紛れ込んでいるといつも思っていた。
それで十分だと。
日常の美しさについてはいまも同じように、一日のなかに何個もの美しさを目にする。日常のいろんな場所、いろんな時間に。


私がいちばん苦手なのは自分をいたわり労い、自身の痛みや苦痛に気づき、ケアすることだ。
自分自身のことは常に後回しになって、気づいたときには心の底からすり減っている。
「自分のことは後回し」と言葉にすれば多少聞こえはいいのかもしれないけれど、私自身はそういう私に心底嫌気がさしている。幼いと思うから。

たくさんの荷物を肩代わりして背負いながら、それをちゃんと運べたときでも、決して自分に「オーケー」とは言えない。
もっと上手くできたのではなかったか、これでよかったのか、ほかの方法があったのではないか。
こういうことを考えるのは仕事のなかではある程度必要なことなのだろうけれど、自分の生き方そのものに対してこれを繰り返しているととことん果てしない。
ランドマークのない道をうつむいてただただ歩き、両脇に広がる荒野は砂漠でしかなくなる。
あいかわらず世界や日常には美しいものやキレイなものがあふれているのに、それを美しいと思いつつ同時に、それを感じる心のなかは何もない荒野に広がる一本の道だけ。その道を黙々と歩くだけ。

たぶん私にとって大人とは、見渡す限り荒野でも歩いていける人を指していた。
それはたしかに随分とタフな大人でしかなし得ないことかもしれない。


人は存外、自分のことを知らないのではないかとこのごろ思う。

若いころの私が思っていた私と実際の私とは、とくにここのところ、ちょっとずつズレがある。
これまさしく「中年の危機 middle age crisis 」と言われればそれまでなのだけど、もっと本質的に、根っこのところで私は自分を誤解していたのかもしれない。
リーダー役を任されやすかったけど実際は何のリーダーにもなりたくはないし、人当たりがよくて初対面でも打ち解けやすいと人からも言われ続けたけれどだからといってほんとうに仲良くなる人はごく少ないし、論理と感情はごちゃ混ぜになることがあるし、組織の役柄を担いやすいけれどほんとうはずっとひとりでも平気だ。一週間人と話さなくてもまったく大丈夫。たぶんなんの苦もなくひとりでずっと本を読んで過ごすだろう。というか、いま、そうしたい。いつも常にそうしていたい。いたかった。

ひとりが好きで人と関わらずともなんの苦もなく、集団から離れても役割をもたなくてもかまわず、ひっそり過ごしたい。
できるなら仕事も、ひとりでできることを仕事にしたい。したかった。

そういう、脱ぎ捨てたパジャマみたいな身もふたもない本音を私はいつからどこに置いてきてしまったのだろう。
振り返ってみても「ここ」といえない。

そのパジャマ、ほんとは大事な私のカケラなの。

いまごろそう思うけれど住所を忘れた忘れ物を探す旅は長くかかりそうな気がする。


忘れてきたものをかき集めてもそのすべてが形をなすわけではないことも、いまはよくわかっている。
その部分だけは大人になった。

人は本来孤独で、どれほど語りあっても本質的に重なり合わず、だからこそ心をひらいて語り合える友や長いつきあいの恋人や、配偶者がいる人はその相手や、もしかしたら親や子も(私の場合は姪と甥)
言葉を重ね、同時に言葉ではないものを重ねあえることが幸運でかけがえのないものなのだろうと思う。

けれどやはりそれらの大切な人々がいる世界と平行して走る道には私しかおらず、痛みや苦しみや、願いや祈りやただのワガママも、手当てする存在は私以外にない。
友や恋人や配偶者や、親や子や、その誰にも肩がわりしてもらいようのない自分という何か。
身もふたもないパジャマのようにだらしなく、かっこよくも美しくもなく、無造作に置かれるままになった自分の、何か、心のような。


「それが大人になるということ」
たしかにそうかもしれない。

いつまでもうだつがあがらず未熟なままでいることもそれはそれで人間的でいいような気がする。
これが他者ならば、私がその話を聴く側ならば、きっと心のどこかでそう思っていただろう(言葉にするかどうかは別として)
すべての人があるべき姿を目指して生きるわけではなく、誰かを傷つけさえしなければ病んでいる自由も、悩んでいる自由も、非効率的である自由もあるはずだと思う。
「健康でいることよりも大切なこともある」というフレーズをどこで読んだか聞いたかわからないけれど、大切な言葉として常に胸のなかにしまってある。ほんとうにそう思う。

けれどいま、ここにいる私は、たいした大人にはならなくともこの世界で唯一、ほんとうの自分を知る人間でありたいとは、ぼんやりと思う。
忘れたものを拾いにいったり、忘れたままにしておいたり、拾ったものだけをごちゃごちゃと手遊びしてなんら形をなさないで終わってもかまわない。
かまわないけれど世界の誰も知らない私のカケラをどこかに落としてきたままなのならば、せめて忘れ物をしたことを知っておきたい。どこにあるのかすらわからなくとも。
いずれ記憶も身体もすべて塵と化すのだから忘れたままでもよさそうなものだけれど、塵と化すからこそ私自身だけは記憶と身体のなかにちゃんと刻んで塵と化したい。
それでこそたぶん私が塵と化すとき、すべてがやっと消えるのだ。置きっぱはよくない。きっとあとの誰かが何か不自然な思いをする。
・・・なんとなくガルシア・マルケスっぽくないか?(ぽくない)


自分のなかにオープンの部分とクローズドの部分とがあって、そのどちらも抱えられること。抱えられなかったとしてもせめて「忘れ物があることを知ること(たぶんだらしないパジャマ)」が「大人になるということ」と、私に語ってくれた大人はきっと、そう伝えたかったのだろう。
置きっぱのパジャマのことすら忘れている私に。

どこまで大人になれるのだろう。
せめて、どこまでよい人間になれるのだろう。

とても抽象的な話になってしまったけど、なんかわからないけど書いてしまったので、ネットという寛容な宇宙に投げてしまおう。

だかだか四十数年のクロニクル。

憧憬

現実と非現実という区別が昔からキライで、そういう言葉を耳にするたびに
「せめて日常と非日常と言って」と心のなかで訂正していた。

 

日常があわただしくなったのは年をとったからなのか、単にいまがそういう時期だということなのか。
よくわからないが毎日、暗闇からのびてくる手に「前に進め」と胸ぐらをつかまれているような時間が続いている。

 

その合間にSNSに逃避して、ツイッターでは親しみを感じる人々の日常の営みに、
Instagramでは飛び込んでくるあらゆる種類の視覚的な美しさに救われる。
生涯着ることのないオスカー・デラレンタのドレスや明日にでも飛んでいきたいスコットランドの湖や
それらはかつて「非現実」と表現された、生活から遠く離れたものだけれど
ネットというツールがそれらを「いま、ここ」とパラレルな時間・空間として私の日常に連れてきてくれた。
しあわせだ。

 

大好きな文章を書く方の、ブログとかも宝もの。
ネットという宇宙には散らばる星のように小さく、しかし確かな光が満ちていて、ことに言葉とともに生き言葉によって生かされている私のような人間にとって、魅力的な文章(と、その書き手)と出会えることがどれほど幸運かといつも思う。
とりわけ大好きなのは ロボ羊さんのブログ

http://goodhei.hatenadiary.jp/

 とても素敵だからファンがたくさんいるのもわかる。

日常の、その明るさも影もこれほど魅力的にクールに描けるなんてなんて素敵なんだろ。
茫漠と広がる宇宙にただひとつの文字通りのアドレス(住所)

その住所を私は知ってる。

 

ロボさんのブログもそうだけれど、愛の形に触れると心が揺れる。
「映え」とかとは違う意味で、Instagramで若い恋人同士が屈託なく寄り添い合う姿をみるのも好きだ。
ハリウッド女優もイギリスのプリンセスも、ジャスティン・ビーバーとそのプリティな彼女(wife)も、互いの背中に添えあった手や、時間にすればきっと一瞬の互いをみつめあう瞬間や、いまっぽいノリでバチっと撮った一枚の写真とか、それらを屈託なく世界にupするその行為とか。それらが愛しくてならない。

 

老境に入った人の貫禄や懐はそれはそれでもちろん見事だ。

 

だけれどいまの私には年若い人々の未来への、無邪気で無防備な笑顔や逃避や、刹那性や野心や恐れや、そのすべてが美しく輝いてみえる。
自分の生き方とは別に。

 

若い頃、手にしたくて得られなかったものへの思いは私にはあまりない。
「そんなふうに生きたかったわ」と思うような時間や時代もない。
ノスタルジーでもなく諦観でもなく。

 

憧憬、なのかなと思うのだ。
開かれた未来への屈託のなさと無防備さと。
若い人々のそんな姿はとくに愛の形のなかに垣間見えて、その行く末がどうであるかとは無関係にいまここにある無邪気さと懸命さと幸あれと願う心とか、その心のありようへ、静かに脈を打つような憧憬を感じる。

 

幸あれ。
会ったことすらないパラレルな世界の若い人々に、静かにそう願うことが、いまの私の憧憬。

 

肺炎の2019(feat. 夏の日の1993)(嘘。肺炎はほんとう)

はじめて肺炎になった。40代なかば。

気力体力の限界を超えていることはわかっていた。
そう指摘してくれる友もいた。
にもかかわらず、家のことにも仕事にも忙殺されていた結果、もっとも忙しい時期に肺炎になった。
反省。

しかし肺炎というのはしんどい。
咳き込んだりするけどふだんの咳と違っていっこうによくならない。
ただただ頭のぼんやり感と呼吸の苦しさが続く。
数日過ぎて、不思議なほど眠くて眠くて仕方のない朝に眠気に任せてお昼まで眠っていて、ようやく心身ともに起きられるか、と思った朝(昼)に「あ、一段だけ回復した」と感じた。まだ途中経過だけど。

昔から心許した人には気持ちの機微すら熱心に話すのに、いざとなると人に頼るのが苦手で今回も早朝6時に自分でクルマを運転していちばん近い総合病院の救急外来に向かった。
ついた途端に力が抜けて、レントゲンを撮る頃にはへろへろだった。
昔、胆石の痛みに耐えながら、そのときも自力で病院に行こうとしたことがあった(さすがに無理で人に乗っけていってもらった)
胆石の痛みは出産の痛みに次ぐという。
自分に呆れる。

人に頼れない、というといくらか聞こえはいいけど、要するにそれはすなわち
手放せない、ということなんじゃないか、
たとえそれが痛みであっても。
と自分の心の奥底に語り掛けてみてしまった。これ以上考えてもろくなことがないからやめよう。

 

2019

肺炎になった  oh  まったく治らない

ふつうの風邪だと思っていたのに

Love

健康 oh  そうじゃないよ

どこか心の深淵で

夏の日の肺炎に

 


とにかく肺炎にはならないほうがよいっす。

夏の日の2019。