偏愛音楽 #1 洋楽、雑多バージョン
この頃、自分のスマホ内からよく流れ出る音楽をば。
本を読むことと音楽を聴くこととを両方できる人に憧れる。
私は本ばかりと会話してきたので、大人になるまで音楽の楽しさを知らなかった。
ただ音楽のもつ力だけはなんとなくうっすらと感じていたから、育ててきた姪と甥には「本と音楽は好きなだけどうぞ」の姿勢でいた。
案の定、「この本を読みたい」「あの本を買って」は片手で十分あまる程度に少なかったが、ウォークマンやiPodは同年代の子たちよりうんと早くに手渡した。
もちろん水没したりBluetoothの不具合が起きたりで、何度買い換えたかわからない。
彼らのウォークマンやiPodで一体何冊の本が買えただろう・・・
しかしそのお陰で、エド・シーランもテイラー・スイフトも姪に教えてもらった。ジャスティン・ビーバーも。
私が音楽を聴くようになったのは、そうして姪(とくに音楽好きで、音楽がないと生きていけない)や甥を経由してだったり、ほかの何かを経由してだったりして、結局20代を過ぎてからだった。
本を読むことを続けていると、無音が前提になる(私の場合)
20代以降に姪や甥や、その他を経由して聴いた音楽たちが私の青春時代の音楽と大きく違っていたこともびっくりだった。
2000年以降(とくに2010年代)の音楽たちはクールでドライで、要するに私の好みだったのだ。
自身の青春時代にイマイチ音楽を好きになりきれなかったのは、自分のアンテナに引っかかるものにたどりつけなかったから、というのもあるのだろう。青春時代の私の音楽に対するアンテナは自覚するほど低かった。
そんなわけで20代半ばあたりから徐々に音楽を好きになり、いまでは日々の家事のBGM ーとくにお料理をするときにはなくてはならないー として時の流れを彩ってくれている、ミドル・フォーティのプレイリストをメモがわりに書いてみる。
洋楽邦楽、年代もすべてバラバラです。
# テイラー・スイフト 『 LOVER』(2019)
2014年、イギリスからの知り合いと都内を散策していて「いまの日本はテイラー一色ね」といわれた記憶が鮮やかだ。振り返れば当時は『テラスハウス』というテレビ番組でテイラーの曲がメインテーマとして流れていた。
あれから5年。今回もキャッチーなアルバムがでたなぁと感心する。
あれほど売れたアルバムのあとに出すものは慎重になりそうだが、前作の「売れた要因」みたいなもの(それがなんなんだか、語る知識も技術も私にはないざんす)を踏襲しつつ、メロディもリリックも少し大人になった感じ。
テイラーの曲は生活のなかに溶け込みやすい。なぜなんだろう。
なかでもとくに好きな一曲。
私はこういう、悲しげでもあるけれどメジャーコード、みたいなのが好きなようだ。
ギター、歌詞、声、とにかくいい。
Soon You’ll Better
# エド・シーラン
言わずと知れた、の存在になったが、私がいちばん初めに姪から「この人、いい」と名前を聞いたときにはまだTSUTAYAの店員さんすら存在を知らなかった。
いまではど・メジャー、UKのポピュラーミュージックを牽引するアイコンになったねー
姪が最初ににいいと言った曲で、私もいまだに彼の曲のなかでいちばん好きなもの。
Thinking Out Loud
そして言わずと知れた
Shape Of You イントロから引きがあるよな
# アデル
まぁ彼女のことは語り出すとキリがないほど愛しているので、ここでは割愛。
グラミーも獲り、これからも飛ぶ鳥を落とす勢いは続く(というか、そういう才能の塊)のだろうから私みたいな素人が何かいう必要もない。
ただ。
ただ、彼女のアルバムはどれも素晴らしいんだけど、すべてを何度も聴いて「これがベスト!」と思う一枚は、実はロイヤル・アルバート・ホールでのライブ・テイクだ。
これは Spotify にも入っていない、CDを買ってしか聴くことができない音源なんだけど、これがなんとも素晴らしい。
このライブ・テイクを聴くためだけに自分用、姪っ子に取られた用、なくしたため、と少なくとも3枚は私はこのCDを買った。あ、親友の誕生日プレゼントにも一枚。
そしてハードディスクからハードディスクに落とす、という古典的作業を、このアルバムだけのために繰り返している。
愛しのアデル。
When We Were Young
(注:これはロイヤル・アルバート・ホール版ではないです)
Make You Feel My Love
この曲はボブ・ディラン(ノーベル賞なんて!)が故エイミー・ワインハウスへの弔いの曲として書いたもので、アデルがカバーしたことで再び脚光を浴びた。
アデル・バージョンは初めて聴いたとき、運転していたクルマを路肩に止めて、思わず聴き入ったよね
PVでのアデルはまだ若く初々しくて、映像全体がどこかソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』を思わせる。
ここからは偏り甚だしいがご勘弁を。
いろいろな影響で自分よりひとつふたつ上の世代の人たちの音楽を愛でることも多かった。
ビートルズは当然その代表格なんだけど、そこまでの「ドンっ」というものでなく、ひっそりと好きな1970〜80年代の曲が数曲。ボズのこの曲もそのひとつ。
いろんなアレンジでいまも日本のレストランとかショッピングモールとかでも流れてることがあるから、そういうとき
「この曲の歌詞、ちゃんと知ってるもんね」 と心のなかで自分につぶやく。
この曲のメロディの美しさ、ボズの渋い声もさることながら、歌詞の持つ普遍的な奥行きと深さにいつも胸を打たれる。
こんな、オルゴールバージョンとかすらできてしまう名曲の、そのリリックをじっと読んでいると、こんなにもシンプルで誰からも心地よく聴かれる(ゆえにオルゴールにすらなる)メロディのなかにどこまでも変わらぬ人間の孤独と愛とが描かれていることにじんとする。
そんなことができるのが音楽なんだよね、きっと。
We’re All Alone
# ケニー・ロギンス
ケニー・ロギンスといえば映画『トップガン』 その他、多くのヒット映画のテーマを生み出している。
そのなかでこの曲はもしかしたら目立たないほうなのかもしれないけれど、私は彼の歌のなかでいちばん好きだ。
ジョージ・クルーニーとミシェル・ファイファーの映画『素晴らしき日』のテーマソングだということをずっと後になって知った。
この曲だけを聴いていると、なんだかハッピーエンドなディズニーの恋物語を思わせる。
『美女と野獣』にでてくるようなプリンセスさえ、なんとなく描いていたのだけど、なんとなんとジョージ・クルーニーとミシェル・ファイファーとは。
そりゃ中身を観なくても「大人の恋」そのものだ。
For The First Time
でも私がこの曲を、大人の恋どころかイノセントなディズニー映画の主題歌では?とすら思っていたのには理由があって。
私がこの曲を初めて聴いたのはハワイのミュージシャン ケアリィ・レイチェルのバージョンでした。
アルバムのなかでケアリィは、女性ボーカルとのデュエットの形でこの名曲を歌っていて、柔らかくソフトな声の連なりと明るさを帯びたハッピー感に「なんか、これディズニーの主題歌とかかな?」とずっと思いこんでいたのでした。
そんな思いのまま数年間愛聴し続けたあとに、ふとそのことを人に話したら即座にグーグルさまにアンサーを導かれ「え?!ケニー・ロギンス?トップガンの???」ということになりました。
曲自体が素敵なので私はどっちのバージョンも好きです。
美しい歌。
For The First Time ケアリィ・レイチェルバージョン
ということで、まとまりのないまんま今回はここまで。
好きな曲(歌、って言い方のほうが好きだけど)があることは生きることを確実に助けてくれる。
そんなことに気づいたのも20代を大きく過ぎてからだった。