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日々の日記。ひっそりと静かに。

本とラジオと、言葉

芸人コンビオードリーの、若林正恭さんの本を読んだ。

 

はじめて若林さんの文章を読んだが、リズムがとても心地よく楽しかった。

とくに好きだったのは若林さんがご自身の好きなものについて書く部分だ。

 

日本語ラップとプロレスと純文学がお好きなのだという。「熱いものが好きなのだ」と書いていらした。その言葉に立ち止まった。

 

 

ナナメの夕暮れ
ナナメの夕暮れ
 

 

 

私は、お笑いと読書が好きだ(ほかにもあるけど、それはまた別のときに)

そのどれも、自分がほんとうに好きなんだと気づいたのは大人になってからだ。

お笑いは、たぶん仕事中の私を知っている人にはまったく理解されないだろうほど、好き。
これもほんとうに好きなんだと知ったのは二十歳を過ぎてだと思う。40過ぎてさらに好きが加速してるのは、芸人さんたちの深夜ラジオを聴き始めたからだ。
自分では言わない下ネタや知らないスポーツの話なんかをお腹を抱えて笑いながら聞き、何度も何度も聞き返す。自宅フリータイムの大半はその週の深夜ラジオを繰り返し聞いて過ごし(ラジコ、ありがとう!)、眠るときも、好きな放送回の録音を聞きながらがいちばんよく眠りにつける(入眠儀礼
思うに芸人さんたちのラジオでの流れるような話術と笑いは映像のないぶん、語りとして完成度が増しているのだろう。

同時に、中学・高校くらいの男の子たちの他愛もないじゃれあいが永遠に続くような、ある種のイノセンスと無限の楽観性が心地良いのかもしれないとも思う。
感性と知識と話術と人間性のよっつが混ざりあって挙句そこに「笑い」が生まれる。なんちゅうこっちゃ。そんなすごいことって、あるんだよね、ここに。
あれほど完成したエンターテイメントも少なかろう。

いま好きなのは

有吉さんの「サンデーナイトドリーマー」(FM,日曜20:00〜)

オールナイトニッポンの第1部(25:00〜27:00)木曜・岡村隆史さんと、土曜・オードリー。

たのしい。

そして文学。
若林さんは純文学がお好きだとあったが、私は純文学はごく限られた作家しか読めない。
そのかわりノンフィクションや、その道を極めた人々が書くエッセイ(ある道をある程度極められた方は往々にして博識であり、柔らかなウイットと優れた文章力をお持ちだと感じる)・親書などは乱読に近い。暗いものは読まない。
領域や好き嫌いよりもとにかく『人生で誰とよりも長く、本と会話をしてきた』のが、私にとっての読書だ。
仕事に絡む専門書はかなり目を通すけど、文学とは対極にあるそうした科学誌を読むときにも、読むことそのものに費やしてきた時間とそれがもたらしてくれたある種の「読む力」みたいなものが、大いに背中を押してくれる。


それを積み重ねて私は傲慢にもあるときから、独学の偏りを気にしない、と決めた。


① どれほどくまなく学んでも一切の偏りのないスタイルなどどこにもないと(僅かな経験のなかからだけど)知ったこと
② バックグラウンドを知らない、名の知れたスーパーバイザーに教授されることよりも自身の読む力・汲み取る力を信じようと決めたこと
が、おっきな理由だった。


① は「人はみんなどこか偏っている」(自分含め)という経験と観察からの現時点での結論だ。

そして ② は、突き詰めれば、私のことは私しか知らないし、そして私のなかには本を通じて「自分で学んだ」ことの(ある程度の)積み重ねがある。その積み重ねは、たとえまったく同じ時間をかけて同じ読者歴を経たとしても決して同じものにはならない性質の、私にとって唯一/最大の持ち物だ。

「自信をもとう」と、ごく最近思うようになった。40半ばを過ぎて必要以上に自己を過小評価することは、過大評価することと同じくらいカッコ悪い。

そのくらい、本とともに生きてきたことは私のアイデンティティのたしかな一部を占めている。

とここまで書いてみて、この文章を読んで誰か共感や納得をしてくれるのだろうかと疑問に思っている。
若林さんが好きなものについて書いているとき、それを読んでいる私はとても幸福だった。
果たして私の好きなものは、それへの思いと言葉は、誰かを幸福にし得るんだろうか。


結局、私は「言葉」が好きだ。
言葉は自由をもたらし、自己を解放し、思考を運び、私の姿を形づくる。
言葉を語り、書くことで、私は形作られていく。これまでもそうで、これからもきっとそうだ。

限界もある。誤解もある。それらが絡まりあい解けないまま失ってしまったものもある。

けれども圧倒的に、私は言葉に救われてきた。母の作った玉子焼きを食べるように、温かい毛布にくるまるように、きりりとした柑橘の香りを身につけるように、冬の朝の空気を吸い込むように、それらと同じように言葉は私を支え、運び、ひとまずこの場所まで連れてきてくれた。



日本語ラップと純文学とプロレス。
「熱いものが好き」だと若林さんは書いていた。
「熱いもの」
それ以外のどんな言葉でもなくその一言がすべてだ。


そういう言葉が好きだ。
静かで、触れられないけど確かで、温度のあるもの。

 

こと言葉や愛しいものに関して、私もなかなかに暑苦しい。
若林さんの清さよりもすこしだけ(いや、だいぶ)、暑苦しい。自覚している。