境界線の彼女
二年関わっていた仕事が三月に終わった。
まずまず忙しい仕事だったから終わるときには感慨深いかと思いきや、若い方たちから労いの花束をいただき送り出していただいても心はフラットなままだった。不思議だ。
昨年の他人の退職ではボロ泣きしていたのに。
この二年間、私とともに着任しともに退任した相棒がいた。
ひとつふたつ年下でとなりのデスクに座り、彼女と私のデスクについている時間が重なる日には朝から夕方までいろんなことをしゃべった(周囲はさぞうるさかったろう、ごめんよ)
周囲にはたぶん、ただの雑談に映っていただろうその「いろんなこと」の中身は、しかし、その実、超真面目なことだった。
仕事歴の長さでいえば、彼女は専門職としては私のわずか後輩になる。クールで淡々として、余程距離の近い相手以外には笑顔すらあまり見せない彼女からは山ほどの質問が飛んできた。
その大半は「ものの見方」や「考え方」などの、とても本質的なことだ。
「どう思う?」
「どう考える?どう判断する?」
「あなたならどうする?」
一見、何事にも執着せず人間関係からもスルスルと身を交わしていくように見える彼女から、こと仕事について、その本質の掴み方について、何度も何度も質問を受けた。そして私も必死にそれに答えた。
それぞれの仕事へのスタイルが、彼女は「いま、目の前のことを」、私は「全体像と本質論、原点回帰」の真反対であったのもよかったと思う。アプローチが真逆なのは、話し合うにはとてもいい。互いが互いの盲点を自然にカバーできるから。
まぁ最終的に私が回答をみつけあぐね、「そうねー」などと言いながらだらだらとふたりで話し合った挙句、彼女自身が自分で次のステップを見つける場合が圧倒的に多かったけれど(役立たずの先輩ですまんかった)
彼女は、職場の他の同僚とはごくささやかなやりとりしかしない。彼女が口にするのは朝夕の挨拶と、必要最低限の「ありがとう」くらいだ。私がいない日には「ひと言も喋らなかったから喉がヘン」というラインが届く。自分の専門以外の仕事には徹底して「いたしません」を貫いた(ドクターXか)
だからといって人に冷たいわけでなく、私以外の同僚からの質問や相談があればきちんと応じていたし、その応じ方には一貫してまっすぐな姿勢が貫かれていた。相応の柔らかさもあった。
クールでマイペースで協調性かからかけ離れた彼女。
かたや私は。
彼女の生き方を心から尊敬した。
一緒に仕事ができる間、学べるだけを学んだのは彼女のほうではない。
その姿から山ほどの何かを教わったのは、何を隠そう私のほうだ。
彼女はほかの同僚とはしない話も私とは心を込めて割って話してくれた。
年上であることもあってか、常に私を尊重し、同時に貪欲に、自分の欲しい知識や思考を私から引き出していったと思う。この点は私も彼女には、惜しみなく、僅かばかりの持てる力を差し出した。役に立っていただろうか。
我々の世界の言葉で「自我境界」というのがある。
自分と他者の境界線だ。
これは、当然のようでそう簡単じゃない。
たとえば共感とか思い入れとか、そういう感情が入り込むと自己と他者との境界線は一気に曖昧になる。自分が悲しんでいるのか、相手が悲しんでいるのか不明になるのだ。
この境界線不明確は、親子間でもっともよく起こる。そしてそういう親子関係・家族関係(親と子の境界線が曖昧であるとか)で育った人は、大人になっても自己と他者の境界線を引きにくい。
親子関係を引き合いに出さずとも、たとえばストレスや心配事などでエネルギーが落ちているとき、話し相手の感情や周囲の状況に飲み込まれやすいのは、たぶんみな、なんとなく経験があるだろう。それは自他境界が揺らいでいるせいだ。自分と相手は違う人間、は、思うほど当たり前のことではない。人の輪郭はちょっとしたことで明確になったり消えたりする。
二年間、ともに働いた相棒は私がこれまで仕事と生活とで会ってきた誰よりも境界線の明確な人だった。
その生き方にホレボレしたことは直接には言ってない(ハズいので)
人に何を思われるかよりも自分が何をしていたいか、だということを、それほどまでに多くの人のテーゼになっていることを、
一度も言葉にすることなく私に見せてくれた。
他者からはときに冷酷すぎてみえることも時間も、彼女の人生の一部であってほかの誰のものではない。自分の人生に無関係な人に冷酷に思われようが嫌われようが、彼女にとっては「So what ?」なのだ。
それはそれは見事なひとつの生き方だった。
ミッション、コンプリート。
あなたがいたからね
そして私はミッション以上のものをもらった。これからどう生きようか?
ありがとう