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日々の日記。ひっそりと静かに。

春の雨の夜のうた  Mr.Children 「365日」

冬から春に変わる季節の雨はときに冷たく、ときに生温く、三寒四温の言葉のとおり気まぐれに思う。
けれどその気まぐれをひとつあけたあとには小さく春に、たしかに近づいていて不思議にすこし安堵する。

昨夜から知らぬ間に降りはじめていた雨は思いのほか強く、短く歩く傘を音を立てて打った。
雨音に打たれて突然に昔の光景が頭をよぎった。
夕方の短い散歩のときだ。


四十を過ぎて恋のことにかかずらわっている自分など想像もしなかった。
離れてしばらくたつ恋人のことはいま、好きなのかキライなのかさえよくわからない。

わがままな人だった。
出会ったときからずっと、私の友人にも称えられるほどカッコよかったけれどそれと同じだけジコチューでナルシストでもあった(友よ、知らんだろう)
育ちがよくて、ずっと年上なのに世間知らずで、けれどときどき誰よりもまともな人で。
スタイルがよくて服装のセンスが抜群によくて、ハイブランドの服も軽々着こなした。そのぶん散財もした。なのになぜが金銭感覚が私より正常なときがあって、それが笑えた。



この人のことを私は最終的に好きでもキライでもなく(もしくはその両方で)
たぶん人生でもっとも大切な恋が終わった。

只中にいたときにはまるでみえなかった物語のはじまりと終わりが、いま振り返ればあらかじめ書かれていたもののようにくっきりとみえる。
そして気まぐれな春先の雨の日にふと、その1ページが映像のように浮かんでくる。



時を忘れるほど、場所を忘れるほど、深く強く誰かを好きになることはおそらく、万人に訪れるものではないのではないかと思う。

トルストイ戦争と平和』のなかに、信心深く誰よりも心清らかなマリア(だったかな)という女性が登場する。
彼女は名家の兄妹の妹として生まれた。兄は眉目秀麗な兵士として讃えられ、けれどもその見目麗しさゆえにみせかけの愛に足元をとられ運命が暗転していく。
対して妹である彼女はたいした美貌にも恵まれず、しかしそれゆえというべきか、人、そして愛の真贋を見抜く目をもち、謙虚で信仰深く知性に満ちた女性として混乱の時代を生き抜く。そして静かに人生を終える。
誰とも深い恋に落ちることなく。
どこか『風と共に去りぬ』のメラニーを思わせた。

子どものころ、とくに理由もなく
「自分は恋愛などと無縁な女性になるはず」
と思い込んでいたしそれを確信に近く信じていた。
トルストイの描くマリアを読んだとき「こんなふうに生きたい」と思った。いまも思っている。

それなのになぜ、私の人生に恋の物語がこれほど深く刻まれているんだろう。
春先の雨の日に、傘に当たる雨音を聴きながらいまは好きとも嫌いとも言葉にできない人との一瞬一瞬が、映像が流れるように浮かんでくるのはなぜだろう。
思い出して泣くわけでもなく笑うわけでもなく、けれどただ、体ごと振り返るようにあのときが思い浮かぶのはなぜだろう。
思えば私は恋の終わりからまだ一度も、恋のことで泣いていない。


Mr.Children がデビューし、桜井さんの歌声がBGMのように流れる時代に時を過ごした。

いつだったか恋人と、Mr.Children のコンサートに神戸にいったことがある。
観客は私の世代が多く、恋人はすこし年上で、ミスチルのコンサートは初めてだといった。
ステージに近いサイド側の、ホール2階席からふたりで並んで生の桜井さんの歌声を聞いた。
恋人は年長者らしく大人っぽく聴きながら小声で私に
「キャーって言いたかったらいっていいよ」
とつぶやいたので、笑ってしまった。
思わず笑った私を「what?」と言いたげな目で彼が見返した。また笑えた。

コンサート最終盤で『優しい歌』がはじまった。
佳境にはいっていたこのときにはそれまで座って聴いていた恋人も私も思わず立ち上がって聴き入っていた。

「後悔の歌
 甘えていた 鏡の中の男にいま
 復讐を誓う」

最後あたりのサビのフレーズを歌う桜井さんがステージの上から大きく指を刺した。
こちらに向けて。

私側の隣の席に一人できていた男の子が私をみた。
彼の側に女の子同士てきていた女の子たちがこちらをみた。
恋人とふたり顔を見合わせた。

「みたよね? いま、桜井さん、
 私のこと指さしたよね?」
「いや、桜井くんが指さしたのは僕」

なんだとぉ
(当時)四十絡みのおじさん(桜井さん)が、(当時)五十絡みのおじさんを指差して面白いわけがなかろう。
指さされたのは確実に私だ。わたし。



「甘えていた
 鏡の中のジブンにいま 復讐を誓う」
愛や恋とは別に、自分の生きることに試行錯誤していた私は当時、何度このフレーズを心のなかでつぶやいただろう。
都会育ちの守られたお坊ちゃんである彼には伝え方もわからない類のもがきや足掻きを、彼のいない場所のなかで必死で繰り返していた。
このもがきからは自分の力で立ち上がりたいと思うと同時に、そこから連れ出してほしいと心の奥底で願っていた。きっと。



ミスチルの曲のなかでは私たちの世代にとっては後発になるけれど、いつかNTTのCMに使われはじめた頃から「365日」という曲が好きだ。
長いことシングルカットされずに、はじめてCMで耳にしてからずいぶんあとに『SENSE』というアルバムに収められた。

甘えていた自分にも復讐よりは愛を与えたいと思う程度に歳をとってから耳にした「365日」は慈悲深いラブソングで、いまも大好きだ。

春の雨のなか、思い出した恋人の笑い顔の背景には「365日」が流れていた気がした。
いつの光景なのか思い出せないけれど。
好きとも嫌いとも言葉にし難い存在が強く深く人生の一片に刻まれている。
たぶん二度とみることのないその姿が、何気ない雨の日にふと思い出される。
毎日欠くことなく思い続けた姿を一度も思い出さない日々のほうが多くなった。
けれどふと、何の前触れもなく脳裏に浮かぶ。泣きも笑いもしないけれど、ふと。
そんな日のどこかでミスチルを、「365日」を聴きたくなる。

トルストイのマリアにも、ミッチェルのメラニーにもなれぬまま。
かといってスカーレット・オハラでは、より一層、ない。

あまたある人生のなかのこんな小さな私という人間のなかに、そのなかにだけ刻まれた恋人と恋の物語。
振り返ってみてはじめてはじまりも終わりもわかるような。
人生の半分を費やした恋の物語。



あのとき。
神戸で、はじめてふたりで生のミスチルを聴いたとき、
そのときのチケットの半券をいまももっている。
何代、何年、手帳を変えても必ず新しい手帳の最後にチケットの半券をはさむことがもう習慣になってしまった。
あれは2009年。
ほんとうはちゃんと覚えてるんだ





Mr.Children  「365日」 

作詞:桜井和寿
作曲:桜井和寿

聞こえてくる 流れてくる
君を巡る 抑えようのない思いがここにあんだ
耳を塞いでも鳴り響いてる

君が好き 分かってる 馬鹿げている
でもどうしようもない
目覚めた瞬間から また夢の中
もうずっと君を夢見てんだ

同じ気持ちでいてくれたらいいな
針の穴に通すような 願いを繋いで

365日の
言葉を持たぬラブレター
とりとめなく ただ君を書き連ねる
明かりを灯し続けよう
心の中のキャンドルに
フーっと風が吹いても消えたりしないように

例えば「自由」
例えば「夢」
盾にしてたどんなフレーズも
効力(ちから)を無くしたんだ
君が放つ稲光に魅せられて

「一人きりの方が気楽でいいや」
そんな臆病な言い逃れは終わりにしなくちゃ

砂漠の町に住んでても
君がそこにいさえすれば
きっと渇きなど忘れて暮らせる
そんなこと考えてたら
遠い空の綿菓子が
ふわっと僕らの街に
剥がれて落ちた

君に触れたい
心にキスしたい
昨日よりも深い場所で君と出逢いたい

365日の
心に綴るラブレター
情熱に身を委ねて書き連ねる
明かりを守り続けよう
君の心のキャンドルに
フーっと風が吹いても 消えぬように
365日の
君に捧げる愛の詩

聴こえてくる 流れてくる
君を巡る 想いのすべてよ
どうか君に届け
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