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日々の日記。ひっそりと静かに。

まだ、そばにいて。 犬のこと

愛犬が他界して今日で四十九日になる。
しばらく前からこの日が怖かった。
一般的に四十九日を機に、命は空へ完全に旅立つという。
仏教からくるものか神道からくるものか知らないが、昨年から周囲でさまざまな人を亡くして、その四十九日をその都度見送ってきた。

私の愛息はる(14歳9ヶ月、黒柴犬)は5月28日の夕方に息を引き取った。
それから荼毘に伏し、いままで私の部屋にいる。

毎朝はると散歩していた時間にひとりで散歩に出かけ、その帰りに24時間オープンのスーパーで小さな花を買ってくる。
散歩から帰宅して、それを活けたり水切りをするところから一日がはじまる。
トーストを焼くときは小さく切ったはるのものも焼いて毎日供えている。

他界した人に心を残し続けるとスムーズに天国にいけないと聞く。

けれど。

***

はる。
できるならいつまでもここにいて。
ほんとうはどんな体調でもいいからもう一度ここにきて、その体を抱きしめたいし、また一緒にいきたいけれど
それは難しいだろうし、しんどい体のままでいさせるのも私も苦しいから心だけでもいい。
存在、空気、小さな骨壺や位牌、毎日のお花やいままで健康のために食べさせてあげられなかったものを一緒に食べながら、
この四十九日間とおなじようにここにいてほしい。
心だけでもいいから。
一周忌といわず三回忌といわず私が死ぬまで、どうかここにいてくれない?
そのことではるが天国にいきにくくても、私が死ぬときには必ず一緒に空へ連れていくから。
向こうで先に待っている兄犬や、インターネットをつうじてお友だちになれたうさちゃんやわんちゃんや、たくさんの命に
そのときには必ず紹介するし、
大おばあちゃん(うちの母)だっているはずだから。
だからどうか、このままここにいてくれない?

***

「私のこんな思いが、はるが天国にいくことを妨げでいたらどうしよう」

と、普段は私が介護する一方の母に、ふと打ち明けてみた。
話しているあいだ、涙がとまらなくなった。

母は黙って私の話を聞いていて、そして

「それでいいんじゃない?
 ねぇ、はる。
 もうすこしおねえちゃんと一緒にいてあげて」

と私の部屋に座ってるはるに話しかけた。

「あなたが毎日いけているお花や、毎日幾度となくあげているお線香の香りを
 きっとはるはよろこんで、
 お花の下で寝そべってるわ。
 四十九日はたしかに見送る日っていわれるけど、あなたが生きているあいだ、
 はるは自由に天国とこことを行ったりきたり、好きに生きると思う。
 だからあなたは『いてほしい』と思ったままでいいんじゃない?」

と。

私は互いにいい歳になった母の娘で、こうして母に自分の気持ちを吐露することなどしばらくなかった。
けれど母の言葉は私を救ってくれた。
正しいかどうかはきっと、この際関係がなくて
私がめそめそといまも、愛息の不在を悲しんでいることと
そしてひさしぶりに娘として、母に頼ることを、した一日だった。


いままでも、これからもたくさん起こるであろう別れのたびに
「みえないからといっていないわけじゃない」
「言葉にしないからといってないわけではない」
と私はもう一度、自分に言い聞かせる。

そして、はる。
情けない母で申し訳ないけど、どうしてもこのわがままだけ、私の心に残させてほしい。
足を止めさせてごめんね。
あなたの霊ならいつでも歓迎する。
金縛りにあったっていいよ。

だからまだもうすこしだけ私のそばにいてくれない?
そしていつか一緒にお空に行こう。
いつも散歩してたみたいに。

それまで、そばで。